プロフィール

上野 芳江

秋田県出身、東京都在住の一般人。

高校時代、知らぬまに文芸部に入部させられ、小説を書き始める。

その後、細々とお話しを作り、現在に至る。

スポンサーリンク

卵売り

 むかしむかし、人里離れた山あいに、「卵売り」と呼ばれる初老の男がおりました。数羽の鶏を飼い、毎朝産みたての卵を抱えて村まで行商に行き、その日の収入で買えるだけのお酒を買って戻るのです。鶏小屋と、自分の住む粗末な小屋の間に、自家用の小さな田んぼと畑。日が暮れるまで耕したら、畑になったキュウリやトマトを肴に、月明かりの下で酒を飲むのが、男にとって、唯一の楽しみでした。毎晩、田んぼに住む青大将を話し相手に、月が傾くまでの一時、その日仕入れた酒をゆっくりと味わい、上機嫌で寝床に入るのでした。

  ある日のことです。それは、一羽の渡り鳥から始まりました。遠くの山からふらふらと飛んできた一羽の鳥が、突然、力尽きて、畑に落ちてしまったのです。男が気付いて抱き上げると、鳥は既に死んでいました。「これも何かの縁だろう」と、鶏小屋の脇に穴を掘り、渡り鳥を埋めて供養をしました。その夜も、いつものように酒を飲みましたが、不思議と飲む程に目がさえてきます。「一体どうしたんだろうなあ」と青大将に問いかけると、何か物言いたげに見つめかえしています。男はその夜、胸騒ぎを覚えながら、床につきました。

  翌朝、男が卵を採りに鶏小屋に入ると、信じられない光景が広がっていました。大切な鶏たちが、息も絶え絶えに倒れていたのです。男はとるものもとりあえず山をかけおり、村に住む医者を連れて鶏小屋に戻りました。しかし、時すでに遅し。鶏たちは一羽残らず、硬くなっていました。医者は足元に死んでいる鶏の目や嘴を確認すると、「渡り鳥の疫病だな」と言って、帰っていきました。

  医者が帰ってしばらくすると、役人がやってきて、鶏小屋に火をつけました。昨日まで元気だった鶏たちが火の中に消えていくのを、男はただ黙って見つめていました。やがて火がおさまると、跡には真っ黒な灰だけ。何もなくなった空間を見ていられず小屋に戻っていく男の背中を、田んぼの青大将がそっと見送っていました。

  翌日も、翌々日も、そのまた次の日も、男は小屋から一歩も出ませんでした。何も食べず、のどが渇くと水を飲み、また眠る。そんな日々を繰り返して何日かたったある朝、男は聞き慣れた声で目を覚ましました。 

「コッケコッコー。」 まぎれもない、鶏の声です。ついに幻聴か、と男は耳を疑いました。

「コケッコッコー、コーコケッコッコー。」 大きな鳴き声が聞こえてきます。  

 男がふらふらと小屋の外へ出てみると、田んぼの脇に、とさかの青い大きな鶏が座っていました。傍らには産んだばかりの、湯気に包まれた卵が三つ、いまにも田んぼの水に滑り落ちそうな不安定さで、草にひっかかっています。男は慌ててかけより、卵を拾い上げました。すると大きな鶏は「コーッ」と叫び、また卵を産みはじめたのです。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。産み終わると鶏は、男に目で合図しました。

  鶏にうながされるまま男はかごに卵を入れ、そのうちの一つを割って飲み込みました。するとどうでしょう。痩せ細った身体に力がみなぎってきます。男は残りの卵を持って村に下り、卵を売りました。そのお金で久しぶりに酒を買って帰ると、とさかの青い大きな鶏を小屋に入れ、自分の寝床を与えました。申し訳なさそうに首をかしげる鶏に、男は「ありがとう」と言って手を合わせ、米と水を勧めました。米を美味しそうについばむ鶏を相手に久しぶりに酒を飲んだ男は、ゴザの上であっという間にいびきをかいて、ぐっすりと眠ってしまいました。

  翌朝から、とさかの青い大きな鶏は、毎日八つずつ卵を産みました。男はそのうちの一つを飲み、残りを持って行商に出ましたが、卵は毎日あっという間に売り切れました。コクのある卵は村中の評判を呼び、遠くから買いにくる人の間で取り合いになるほどでしたが、男は値上げをしませんでした。村から戻ると田んぼと畑を耕し、夜になれば鶏を相手に酒を飲む、そんなささやかな生活で、男は充分幸せでした。

  そんなある日の夕方、いつものように鶏を相手に酒を飲んでいると、いきなり小屋の戸をあける音。振り返るとそこには、いつか鶏小屋を焼いた役人が立っていました。「殿様の命により、鶏をもらいに来た」と言うと、驚く男をよそに鶏を抱えて鳥かごに押し込み、馬に飛び乗ると、一枚の金貨を放り投げて小屋を立ち去りました。山にこだまする鶏の叫び声を聞きながら、男はどうすることもできず、ただ黙って立ち尽くすしかありませんでした。

  月の光を受けて輝く金貨を拾い、男は鶏のいなくなった寝床に供えました。まだあたたかい寝床をなでて、とさかの青い大きな鶏のことを考えていると、寝床の隅に黒っぽいヒモが見えました。ひっぱりだしてみると、カラカラに干からびたヘビの抜け殻です。「田んぼにいた青大将のじゃないか」と、その瞬間、男にはすべてのことがはっきりとわかりました。あの鶏は、青大将の変身した姿だったのです。男はその夜、一睡もせずに神棚を作り、青大将の抜け殻を祀りました。

  男はそれから、毎朝神棚に米と水を供え、田んぼと畑を耕して暮らしました。村に下りることもなく、酒を飲みたくなったらどぶろくを作り、少しだけ飲みました。土と風と、水と太陽、夜には月もやってきて、男をやさしく照らしました。そうして、ひとり静かに年老いた男は、あけの明星が輝くころ、静かに息を引き取りました。

 男の最後の呼吸が東風にのって届いたのでしょうか。とさかの青い大きな鶏は、お城の庭を駆け回ると、明けはじめた空に向かって激しく鳴き叫びました。役人に連れられてお城に来てから何年も、一向に卵を産む気配のないまま庭に繋がれていたのです。うるささに耐えかねた殿様が「耳障りだ、処分しろ」というと、命をうけた役人は鶏を川辺に連れていきました。

 「おまえ本当に強情なやつだな。ひとつくらい産んでやればこんなことにはならなかったのに。」役人はそういうと、鶏の首をつかみました。とさかの青い大きな鶏は、翼をはためかせ、体中の毛を逆立てて抵抗しましたが、役人が勢いよく手をひねると、ボキッと首の折れる音とともに、静かになりました。役人は鶏が死んだことを確認すると、その死骸を川に投げ捨て、お城へと戻っていきました。

  下流で村人がひとり、釣りをしていました。上流へと登っていく鮭をねらって川までやって来たのですが、今日のところは当てがはずれたようです。そろそろ帰ろうかと思った矢先、突然、釣り竿の引きが強くなりました。

  「大物だぞ。」

  村人が川の流れにあわせて一気に釣り竿を引き上げると、釣り糸とともに川面に現れたのは、とさかの青い大きな鶏の死骸でした。

  「これは、卵売りの鶏じゃないか。」

  村人は釣り道具を片付けて手に持つと、鶏を背負って山を登りました。

 小一時間ほど歩くと、繁みの向こうに、卵売りの小屋が見えてきました。

 「おーい、卵売りのじいさん、いるかー?」 

 田んぼと畑に卵売りの姿が見えないので、村人は小屋へ向かいました。 

 「おーい、じいさんの鶏が」  

 と言いながら小屋の戸をあけると、卵売りはせんべい布団に横になったまま、村人の方を振り向こうともしません。

 「どうした、具合でも悪いのか」

 といいながら近付いてみると、卵売りは既に息もなく、冷たくなっていました。

 驚いた村人は、背負っていた鶏を下ろすと、急いで村へと下りていきました。

 月が昇るころ、卵売りの小屋にはたくさんの村人が集まりました。おじいさん、おばあさんから小さな子供まで。みんな、卵売りが持ってくるコクのある卵を楽しみにしていたお客さんです。卵売りの男がいつも酒を買っていた酒屋も、店にある一番いい酒を持って、小屋にやってきました。

 やがて、鶏を釣り上げた村人がお坊さんを連れて戻ってくると、卵売りの男の法要が営まれました。

 お焼香の後の精進落としは、鶏肉の竜田揚げ。

 とさかの青い大きな鶏の竜田揚げは、今まで誰も食べたことがないほど甘く、噛むと肉汁のほろ苦いコクが口の中に溢れました。村人たちは、ひとり一切れの竜田揚げを口の中で何度も噛み締めて飲み込むと、手を合わせて、卵売りの男と、とさかの青い大きな鶏の冥福を祈りました。

 村はずれに大小二つのお墓が、仲良く並んでいます。

 大きい方にはお酒、小さい方には米と水が、いまでも絶やすことなく供えられているそうです。

スポンサーリンク

Powered by Wepage Site