ART & ALTERNATIVE                           

psychedelic edition

  Description   

 あなたはアートを鑑賞して心を揺さぶられたことがあるだろうか。
 アートは時に、それを見る者の心に深く入り込んで心を振動させることがある。
 これは音楽にもいえることで、人は音楽を聴くことによって、 内面の世界は一瞬にして塗り変わる。
 アートが人の心に深く入り込むと、人の意識はアートが発出するイメージに専有されてしまう。
 アートを見て人が変化するというのは、人間に意識がある証拠だといえる。
 AIがアートを見ても、アートを情報として取り入れるだけで、 AIの根幹となっているプログラムは何も書き替わらない。
 人間の根幹となっている意識は潜在意識と呼ばれている。
 アートには人間の潜在意識を書き換える力がある。
 だからアートはサイケデリックな存在になり得る。
 それでは何でもアートを見れば心が変化するのかといえば、 決してそのようなことはない。
 人間の深い意識によって生成されたアートでないと、 見る者の心を振動させることは難しいだろう。
 identity auto drawing は人間の潜在意識が生成するアートだ。
 それらの作品を鑑賞して何かを強く印象付けられたならば、 それは心を揺さぶられたことを示唆している。
 美しく手が込んだ工芸品のようなアートが必ずしもサイケデリックであるとは限らない。
 なぜならばそのようなアートは人間の深い意識によって生成されてはいないからだ。
 アートの技術を否定するつもりはない。
 ただ技術だけで生成された作品には、人の心を打つ要素はない。
 作品に魂を込めるという表現がある。
 確かに魂の入った作品は、見る者の心を揺さぶる。
 アニメのような作品では人の心を打つ要素は敢えて排除されてしまう。
 手書きの原画作品ならまだしもアニメは美しいだけで、 それ自体には特別な価値は感じられないのは私だけだろうか。
 あるいはドット絵のキャラクター画像に心を惹かれないのは不思議なことなのか。
 私はヒューマニティを感じ取れる作品にはつい心を奪われてしまう。
 AIが生成できないような表現を追求することが サイケデリックエディションのコンセプトだ。
 見た瞬間に心に突き刺さるような棘のある作品を生成したい。
 サイケデリックエディションは見たときに作品の中に引き込まれてしまうような、 ただ楽しいきれいだだけで終わらないような作品を中心に展開している。
 それらの作品はあなたの精神の中にいつの間にか生息しているはずだ。
 アートの存在意義はそこにあるのではないか。
 人間の内部(内面)の風景を描いた作品群がサイケデリックエディションである。
 内面の風景といっても、それは視覚できる対象ではない。
 どうすれば内面の風景を紙面に映し出すことができるのか。
 その方法がidentity auto drawingだ。
 内面の情景を紙面に転写することを考えた。
 内部の風景は外部に見える風景とは全く異なる様相を呈している。
 それは風景には見えない。
 何か混沌とした精神の状態を表しているといった方が分かりやすいだろう。
 その時の精神の状態によって描かれる作品は異なってくる。
 外部空間の世界を紙面に写し取った表現ではない。
 これが従来の概念で考えるところのアートと呼べるものなのかは分からない。
 だから私はアルタナティブアートと呼んでいる。
 一発勝負の即興で描いているので、二度と同じ様な作品には出会えない。
 その時の精神を紙面に写し出す作業となるので、絵画を製作するプロセスからは逸脱しているだろう。
 identityが変われば描き出される作品も変わってくるので、identityの視覚化といっていいかもしれない。
 上手い下手は関係なく、自己identityに沿って率直に描き出せばよい。
 これはアーティストでなくても、誰にでもできることだ。
 私はこのプロセスを自己identityの視覚化と呼んでいる。
 これはAIには決してできないことであり、人間であることの証といえる。
 思考に頼らず、何も考えないで描くことだ。
 そうすればあなたは自己の核とつながることができる。
 自己の中心核に絵筆を委ねるのだ。
 そうすると思いもよらないビジュアルが描かれていく。
 このようにしてサイケデリックな作品を描くことによって、あなたはあなた自身の露わな姿を見ることができる。
 自分はこのような人間だったのかという驚きは隠せないだろう。
 とにかく身近にある絵筆(ペンでもコンテでも何でもよい)を手に取って、何も考えずに感じるままに描き始めるのだ。
 そうすると予想だにしないような作品が描かれるはずだ。
 それは今この瞬間のあなたを写し出している。
 サイケデリックアートを見る上で重要なのは、それらを既存のアートの枠の中で見ないことだ。
 これは普段、自然界の美しい風景をアートの枠の中で見ていないことと同じだ。
 内面の風景を感じるという見方をするのだ。
 内面の宇宙を描いているイメージだ。
 もしかしたらサイケデリックアートは宇宙を表現したアートなのかもしれない。
 なぜならば内面と宇宙はリンクしている可能性が考えられるからだ。
 宇宙にはこれといった具体的な形象はない。
 あるとすれば銀河や星の形だけだ。
 だから宇宙のビジュアルは抽象的だ。
 真っ暗な空間の中に光の映像が散在しているだけだ。
 サイケデリックアートを描くと自己とは正に宇宙のことなのだということに気づかされ、はっとする。
 だからサイケデリックアートは宇宙を描くアートだといえる。
 人間の内面は宇宙と同じくらい広大で深い。
 内面に宇宙を見ることができたならば、宇宙とつながったことになるだろう。
 天空に広がる宇宙を見るという行為は自己の内面をみることだ。
 だから内部と外部を分けて考える必要はない。
 宇宙とサイケデリックは一致するという意味だ。
 宇宙は夜空を見上げれば見ることができるが、内面は見ることができない。
 だから紙面に投影するのだ。 宇宙こそが真実の世界だ。
 サイケデリックアートを描くことで、内面と宇宙は一体化する。
 それらの間には境界は存在しない。
 私たちは真の自分、本当の自分に出会うためにもがき続ける。
 それには内面の宇宙を内観すればよい。
 そこに本当の自己が存在しているのが見えるからだ。
 それに気付いて見た瞬間、本当の自己は宇宙へと飛び出していく。
 そして自己は宇宙空間に鎮座している。
 自己とはちっぽけな存在ではなかった。
 自己を制限する領域はない。
 自己は宇宙に限りなく広がっている存在だ。
 宇宙が無限に広く見えるのと同様に自己も無限なのだ。
 なぜあなたの眼には宇宙が無限大に見えるのか。
 それはあなたの自己が無限大だからだ。
 あなたが見ている宇宙は、あなたの自己を写し出しているスクリーンだ。
 なぜ宇宙が存在するのか考えたことがあるだろうか。
 その理由は深遠かもしれないが、それは自己が存在する理由と同じかもしれない。

PORT FOLIO・・・・・近日、公開いたします。しばらくお待ち下さい。

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