国本幸司さんは、パチスロ機の企画・開発・製造・販売を手掛けるネット株式会社の創業者です。

2023年(令和5年)10月7日に81歳でこの世を去っていますが、その偉業はパチスロ業界では語り草となっており、その名を知らない人はいないレベルの著名人です。

大学時代に学生結婚や成型工場の立ち上げを経験するなど、若い頃からアグレッシブな性格だった国本幸司さんを知ってもらうべく、その経歴を調査しました。

また、今では「パチスロ業界になくてはならない会社」として話題のネット株式会社の特徴と口コミ評判などについても紹介していきます。

国本幸司について

国本幸司さんは、太平洋戦争が始まる前の昭和16年に大阪で誕生しました。令和5年に81歳で亡くなるまで、実業家として昭和・平成・令和と激動の時代を生き抜いています。

大学時代に学生結婚をし、成型工場を立ち上げるというアグレッシブな性格を持ち合わせていた国本幸司さんは、パチスロメーカーのOEM(オリジナル・イクイップメント・マニュファクチャラー)で、工場を軌道に乗せ、収益を上げていました。

その後、パチスロメーカーを買収してネット株式会社を創業すると、実業家としての更なる才覚を見せ、会社の経営を取り仕切りながら、パチスロのリフォームシステムを確立し、業界でその名を広く知られることとなりました。

そんな国本幸司さんの晩年は、ご子息に事業を譲り、悠々自適にゴルフを楽しみながら、ご家族と楽しく暮らす毎日だったとのことで、とても幸せで理想的な人生の幕引きとなりました。

プロフィール

名前国本 幸司(くにもと こうじ)
生年月日・忌日1941年(昭和16年)10月9日~2023年(令和5年)10月7日(享年81歳)
出身地大阪府大阪市
血液型B型
最終学歴同志社大学卒業
肩書ネット株式会社 創業者
国本幸司のプロフィール

国本幸司の幼少期と学生時代

国本幸司さんは1941年10月生まれ。太平洋戦争が始まったのは1941年の12月8日ですから、戦前生まれということになります。

大阪で生まれ育った国本幸司さんは、子供の頃は近所のガキ大将だったとのことで、戦時中・戦後の時代でも、やんちゃで伸び伸びと過ごしていたようです。

高校卒業後に同志社大学に入学すると、鍛え上げた体格を活かして相撲部で活躍していました。さらに同志社大学在学中には学生結婚もしています。

国本幸司の経歴

同志社大学時代に学生結婚をした国本幸司さんは、成型工場の事業を起こします。当初はあまり事業がうまくいかず、借金との攻防に追われる日々だったとのことです。 

起業してからも大学を中退せずに学業に励み、8年かけて卒業を果たしました。 このことから、国本幸司さんはアグレッシブな性格というだけでなく、諦めずにやり遂げる気持ちも併せ持つ努力家であることが伺えます。 

成型工場はパチスロメーカーのOEMを主力事業として、会社を軌道に乗せることができました。

その後、悲願のメーカー買収を果たし、ネット株式会社を創業しています。こうして国本幸司さんは、パチスロメーカーで名を挙げていくことになるのです。

周囲から慕われる人物像

国本幸司さんは、仕事に対して厳しい人物でしたが「いざというときに頼れる親分肌」の一面もあり、仕事が終わると飲みに連れて行ってくれたり、困ったことがあると必ず助けてくれたりするなど、その行動や人柄から多くの人に慕われていました。

常に堂々としており、裏表のない人間味あふれる人物だったと評判で、非常に魅力的で関わった人たちを幸せにしてくれるパワーを持っていたようです。

また、プライベートでは1男4女に恵まれ、13人の孫に囲まれるという晩年を過ごしています。家族から見た国本幸司さんは「家族思いのいいおやじ」だったとのことです。

スポンサーリンク

Powered by Wepage Site